- archive -
Miscellaneous

| INDEX | NEXT POSTS »

ドメインは必要ではないと思っていたのだけど、物欲に駆られて取得してしまった。でも文庫本ほどの値なんですね。お手軽になったものです。

サイトを用意したときに、「夏」をつくっていたので、残りの「春秋冬」をつくってみる。
好みの形は、大抵可読性に難ありだけれど、境界のあたり、何となく読めるあたりが心地いい。と、言ってもやはり難ありか。

マシンでつくると、どうしても直線的につくるのが楽しくなってしまう…。

やっとMTのテンプレートが揃いました。非常に簡単なテンプレートですが、勉強になります。
プラグインや、タグのことはこれからぼちぼち勉強しとうと思う。

今月のダビンチを読んでいたら、携帯小説についての特集が数ページで組まれてた。冒頭の座談会で、女子高生の小説感に軽く悶絶です。彼女たちが言うリアリティって何だろう。リアルの反対はウソなの?
このところそのことが気になって仕様無い。

高校の物理課程の始めの頃に学ぶ概念に位置エネルギーがあった。質量mの物体が、重量gの場において高さhであるとき、そのエネルギーはmghである、というもの。つまりは、位置エネルギーはhに比例するということであった。

この概念を乱暴に肥大されるれば、高低の比喩がなされる状況でエネルギーのイメージを導入するのも容易に思える。高低の比喩がなされるもの、例えば金、知識、立場、などである。

それらの場において、高きにいる人間は、低きにいる人間よりエネルギーを持つことになる。高ければ高いほどに。エネルギーを変換する術を知る人間であれば、知識を金に、立場を、金を立場に変えることもできるだろう。

考え方によっては、そもそもエネルギーを多量に持つものが優位なのだろうけど、効率的変換の技術を持つものが有利と言うこともできる。

一般的には変換能力を得るのが先なのか。しかしながら、場が変われば見え方は随分違うものになる。相対性はしっかり足元にある。

哲学にいちばん欠けているものは厳密性だ、とベルクソンの本にあった。僕に欠けているものは、もちろん厳密性だけではないけど、一息を入れて、ここから始めることにする。

| INDEX | NEXT POSTS »