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2007

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今月のダビンチを読んでいたら、携帯小説についての特集が数ページで組まれてた。冒頭の座談会で、女子高生の小説感に軽く悶絶です。彼女たちが言うリアリティって何だろう。リアルの反対はウソなの?
このところそのことが気になって仕様無い。

高校の物理課程の始めの頃に学ぶ概念に位置エネルギーがあった。質量mの物体が、重量gの場において高さhであるとき、そのエネルギーはmghである、というもの。つまりは、位置エネルギーはhに比例するということであった。

この概念を乱暴に肥大されるれば、高低の比喩がなされる状況でエネルギーのイメージを導入するのも容易に思える。高低の比喩がなされるもの、例えば金、知識、立場、などである。

それらの場において、高きにいる人間は、低きにいる人間よりエネルギーを持つことになる。高ければ高いほどに。エネルギーを変換する術を知る人間であれば、知識を金に、立場を、金を立場に変えることもできるだろう。

考え方によっては、そもそもエネルギーを多量に持つものが優位なのだろうけど、効率的変換の技術を持つものが有利と言うこともできる。

一般的には変換能力を得るのが先なのか。しかしながら、場が変われば見え方は随分違うものになる。相対性はしっかり足元にある。

哲学にいちばん欠けているものは厳密性だ、とベルクソンの本にあった。僕に欠けているものは、もちろん厳密性だけではないけど、一息を入れて、ここから始めることにする。

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